城崎温泉ロープウェイは“太田垣士郎”氏の発案により、建設されました。太田垣士郎は明治27年2月1日に、ここ城崎の地に出生しました。
 京都帝国大学経済学部卒業後、日本信託銀行に勤務したのを皮切りに、大正14年阪急電鉄に入り、昭和18年京阪神急行電鉄(株)の取締役に就任、常務、社長を歴任の後、昭和26年58歳にして関西電力(株)取締役社長に就任しました。
 昭和31年に黒四発電所建設に着手、幾多の難工事を繰り返した後に昭和38年にようやく竣工式を迎えました。

その業績や人物により昭和39年3月に永眠するまで関西電力会長の他、関西経営者協会会長、関西経済連合会会長、大阪商工会議所顧問、電気事業連合会会長、日本原子力発電(株)相談役等々、数々の役職を歴任し周囲の人々に大いに影響を与え、幾多の名語録は現在でも多くの企業家に愛されております。(参考書籍「太田垣士郎の追想」「呼ぼうよ雲を 太田垣士郎伝」)

 その太田垣氏の黒四発電所建設をきっかけとして、氏が幼少の頃野山を駆けめぐったここ大師山に、ダム工事用の索道を利用したロープウェイを建設しようといった気運が高まりました。運搬費用や設置費の増大により、結果的には全く新しいロープウェイを建設することとなり城崎温泉ロープウェイは昭和38年5月に完成しました。

 郷土の輩出した偉人を讃え、この地を訪れる人々や、我々の子供達に今一度“太田垣士郎”の名を伝えたいと思います。